七五三通り

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尾竹橋通りからT字路として伸びる「七五三通り」。

その由来は諸説あり、一説では「昔、7丁目・5丁目・3丁目に通る道だったことから」とも。

しかしその真は不明。きっと子どもの成長を願っているのでしょう。


  • 当地に古くからお住まいの方の間では、「なごみ通り」と読むという説もある。
  • 旧日暮里町7丁目は新三河島駅方面であり、通っていない今昔マップ on the web

などの謎はありますが、荒川区のホームぺージによると、読み方は「しちごさん通り」、名前の由来は「日暮里町3.5.7丁目が一本化された町会があった」からとなっています。


P_20170411_090524_vHDR_Auto和33年発刊の「増補荒川区土木誌」によると、七五三通りは延長353メートルであり、昔は幅員5.4メートルであったところ、昭和18年に強制疎開により通りの北側が空き地とされたそうです。
戦後、七五三通りと空き地を合わせて幅員11メートルの道路として整備することとなり、日暮里駅方面への近道としての効果も期待されるため、住民も建設計画に協力したそうです。
この甲斐あって、昭和28年着工、昭和29年砂利道として竣工、昭和30年には簡易舗装工事も完了し、今に至っています。

 

また、昭和46年発刊の「荒川区土木誌」によると、諏訪台中学校前を通り、道灌山通りの西日暮里五丁目東交差点まで七五三通りを延長する計画があるようです。しかし、現在においても、先ほどの荒川区ホームページでも七五三通りの延長は353メートルと紹介されており、延長計画は実現していません。
諏訪台中学校や、隣のコカ・コーラさんの建物がセットバックされているように見えるのはこの名残なのでしょうか。

なお、この計画は平成28年に優先整備路線(補助182号線)に選ばれています。